Sun.Oct.24,2002更新
●活字離れの叫ばれている昨今、学校での読書指導の重要性が注目されるようになってきました。そんな中で著者が教鞭を執られる関西学院では中学・高校に「読書科」という独自の実践授業があり、各方面から評価されております。読書科は「本を読むこと」を単に「お話」を楽しみ、感想文を書くものというレベルから自己の関心を研究テーマにし、論文を完成させる知的スキルに高めることを学ぶ教科です。 会員券は坂上または佐藤雅一幹事長(0797-72-2814)までお願いします。なお、幹事長に直接お申し込みの方は、「池田銀行宝塚支店 普通預金3489021 関西学院同窓会宝塚支部 佐藤雅一」まで代金を納めてください。坂上までお申し込みの方は、会員券の受け渡し方法などご相談させていただきます。
障害者用の車で米国横断旅行に挑戦(読売新聞大阪本社 00-02-08)
筋ジストロフィーのために電動車イスの生活を送る東京都千代田区の貝谷嘉洋さん(29)が今春、操作レバー(ジョイスティック)一つで運転できるワゴン車で約6000キロの米国横断旅行に挑戦する。
貝谷さんは1993年に関西学院大学を卒業したあと、単身渡米しジョイスティックを利用した障害者用の車の運転を体験。日本には東京都八王子市の市民団体が購入した1台しかないため、「普及に一役買いたい」と旅行を計画した。
計画ではボランティアの友人2人とともに4月10日、カリフォルニア州バークリーを出発、5月上旬にフロリダ南端の島キーウェストにゴールする予定。費用は約800万円で、節約のため、テントで夜露をしのぐこともあるという。
筋ジス青年がワゴン車で米国横断計画(読売新聞 00-02-08)
全身の筋力が低下する難病、筋ジストロフィーのために電動車いすの生活を送る東京都千代田区二番町の貝谷嘉洋さん(29)が今春、操作レバー(ジョイスティック)一つで運転できるように改造したワゴン車で、米・カリフォルニア州バークリーからフロリダ州まで、約六千キロの米国横断旅行に挑戦する。貝谷さんはこの旅行を成功させ、日本で遅れている障害者用車両の普及をアピールしたいとしている。
十四歳から車いすと全面介助の生活を余儀なくされた貝谷さんは、一九九三年に関西学院大学を卒業。その後、「障害者政策を勉強したい」と単身渡米し、カリフォルニア大学バークリー校の大学院に留学中に、ジョイスティックを利用した障害者用の車に出合った。
レバーを前後させればアクセルとブレーキ、左右の操作で車体の向きを変えることができる。また、ボタン一つでギアチェンジでき、右手六キロ、左手二キロの握力しかない貝谷さんでも、操作は簡単だったという。
計画では、三月上旬に渡米して運転免許を取得し、ボランティアの友人二人とともに四月十日にバークリーを出発、テキサス州やルイジアナ州などを経て五月初旬にフロリダ南端の島キーウェストにゴールする予定。旅行中の運転は貝谷さんただ一人。費用は約八百万円で、三分の二は装置購入と車両改造費。節約のため、夜はテントで夜露をしのぐこともあるという。
米国では、障害者支援として全米三か所でジョイスティックを利用した車の教習が行われており、州によっては購入費補助もある。しかし、日本では補助制度や教習施設がないために普及が遅れ、九七年に東京都八王子市の市民団体が購入した一台だけだという。
貝谷さんは「日本では障害者は保護の対象だが、環境さえ整えば何でもできることを証明したい。日本でもジョイスティック・カー普及に一役買いたい」と意気込んでいる。
まだ資金が不足しているため、「ヨシを運転させるベンチャー」事務局(03・5215・1485)で、援助を求めている。
小学校時代からの友人・吉田典之さんが執筆した本が出版されました。「すばる」が描き出す今まで見ることができなかった宇宙の姿を伝えるだけでなく、天体望遠鏡の仕組みや歴史、宇宙物理学やビッグバンなどトピックを平易な言葉で説明して、子供をあきさせない工夫も感じられる本です。
関西学院校歌「空の翼」の作曲者・山田耕筰が、フル・オーケストラで同校歌を歌っているレコードが見つかったとニュースで言っていた。
山田耕筰が歌っている「空の翼」を聴いてはっとした。それは、今は亡き高等部の音楽教諭・光国先生が指導された「空の翼」そのものだった。弾むようなリズム感に溢れ、力強く元気が出てくる、あの光国先生の「空の翼」だった。
ニュースでは現在歌われている、上品にアレンジされた「空の翼」が流されていたが、僕はどうもこの歌い方が好きになれなかった。そして、その原因が原曲が崩されているところにあるのだとわかってほっとした。そして、それと同時に、山田耕筰のつくった「空の翼」を忠実に僕に指導された光国先生に感謝したい。
3月29日(日)、汗ばむほどの陽気の中、甲子園球場へ行って来ました。お目当てはもちろん選抜高校野球大会で、63年ぶりの出場を果たした我が母校、関西学院高等部です。
9時30分から始まる第一試合に、早めの8時30分に到着したのに、三塁側は既に人だらけでした。12番ゲートから三塁側の車いす席へは急なスロープを一ヶ所登ればたどり着けます。9時を過ぎて応援団がアルプス席へ入ってくると、俄然雰囲気は盛り上がってきます。応援練習で「空の翼」が歌われはじめると地鳴りのような歌声が聞こえてきます。試合開始直前には、外野席レフト側、内野席は三塁側からバックネット裏、そしてやや一塁よりまで青いメガホン一色に染まりつつありました。
試合は3回まで動きがなく、3回2死から9番の1塁手西尾君がライト前にポテンヒット。すかさず二盗。続く1番中堅手岩崎君が内野安打で出塁。続く2番・主将で二塁手の平野君がセンター前のポテンヒットで三走の西尾君を迎え入れ先取点。ここでスタンドからは応援歌「新月旗の下に」がまさに爆発しました。
続く4回にも、8番の捕手福島君のレフト前ヒットで1点を追加。再び「新月旗の下に」が球場を覆い、2-0としました。投げてはエース岬君が5回まで2安打しか許さない好投。
5回が終わり、グランド整備中に「空の翼」の大合唱が始まりました。大会3本の指に入る高鍋の投手をここまで打ち込んで、関学「勝利」の文字がちらつきました。
6回、高鍋の先頭打者を四球で歩かせてしまったあと、高鍋の足を絡めた攻撃にかき回され、ミスが続き、あっと言う間に逆転され、2-4となりました。直後に三度目の「新月旗の下に」が球場を包みましたが、その後の攻撃は空回りをして、ゲームセットを告げるサイレンが鳴り響きました。
7回からは、なぜか涙が止まりませんでした。試合の後、高鍋高の校歌が流れると、「空の翼」への思いがこみ上げてきました。そのとき、高鍋高の校歌にあわせて関学の応援団が手拍子をしているのが聞こえてきました。最後までフェアに応援をした応援団を誇りに思いました。最後に挨拶に来た選手達の顔をしっかりと見てやれませんでした。周りのOB達は「いい夢を見せてもらった」と自分をなぐさめてましたが、僕は悔しかったです。
・関西学院高等部野球部が1998年春の選抜高校野球大会に出場決定
関学高等部野球部の63年ぶりの選抜出場おめでとうございます。甲子園球場で「空の翼」を一度は歌ってみたいと思っていたのはラグビー部出身の僕だけではないでしょう。その夢が一歩近づきました。何かわくわくします。
野球部の皆さんにはいい試合をしていただき、できれば勝って「空の翼」を歌わせて下さい。欲を言えば2回戦以後で関関戦が実現すれば・・・(一OBより)